21世紀の資本

ピケティ「21世紀の資本」を読み始めたが・・・

フランスの経済学者トマ・ピケティが書いた「21世紀の資本」が世界的なブームを巻き起こしている。資本主義のもとでは格差は拡大していくという結論を導き出したこの本は、世界で150万部を売り、日本語版も13万部発行している。約700ページ、値段は5,940円もする分厚い本。それでも爆発的な売れ行きなのは、「いまの社会はどこかおかしいのではないか」と、疑問を持つ人たちの心を捉えたからだと思う。私がこの本を購入したのは日本語版(みすず書房)が発売されたことがサンデーモーニングで取り上げられたのを機に書店に走ったので、かなり早い時期だった。年末に読みこなすつもりだったが、積読状態だった。1月末に来日を機に、一気に新聞や雑誌が特集を組むようになり、感想や解説が溢れだした。そうすると、それが気になり先入観が入って私なりの感想をブログでと思っていたが、どれを切り取ってもほとんど同じ感想になってしまい、面白くなくなってしまった。そこで少し視点を変えてこの本を考えていきたい。

 

アメリカがくしゃみをすれば風邪を引く日本

「21世紀の資本」は最初フランスで21年8月に公刊された。一気に火がついたのは、2014年4月に英語版が発売され、アメリカでベストセラーになったからだ。アメリカは1980年代以降に格差が広がった。当時のアメリカはレーガンミクス旋風。新自由主義的な政策が主流となり、経済活性化の手段の大幅な減税も高所得者に有利に働いた。だが、上位1%の富裕層の所得が総所得に占める割合は、70年代末は9%程度だったのに、近年は20%近くにまで上昇している。自由を尊ぶアメリカでも、さすがに行き過ぎと感じ始めているのだ。それがベストセラーの背景だと思う。日本でも、可処分所得の中央値の半分以下の所得の人を示す相対的貧困率は16.1%(2012年)に達した。この30年間ほぼ一貫して上昇。非正規社員は雇用全体の4割強に達している。レーガンミクスが米国の格差を拡大しているように、まるで写し絵のように日本のアベノミクスも格差と貧困を生み出している。はじめはフランスで2年前に出されたものが翌年アメリカで火が点くと「日本もか」程度の問題意識だったが、ことはそんな単純なことではないと、読むほどに思った。アメリカをはじめ、富裕国の大企業の賃金が急増し、それが格差拡大の要因になっているとの指摘は、日本もアメリカほどではないが同じ傾向にある。私が社会に出た1970年代頃は大学卒の初任給は月額3万~4万であった。住宅手当や夏冬の一時金、それに北海道は越冬手当・燃料手当て含めて年収が70万~80万。その頃、大企業の社長といえども初任給の50倍はもらっていなかったと思う。当時、「初任給の10倍以内が理想」などと生意気なことを喋っていたことを思い出す。最近は大企業のトップは何億円、何10億円という巨額報酬を得ていることがニュースで伝えられている。

 

「r>g」

「21世紀の資本」の要点は、表紙に書かれている「r>g」というシンプルな不等式で表されている。「r」は資本収益率、「g」は経済成長率を指す。ピケティは18世紀以降の300年近くにわたる20ヵ国以上の「r」と「g」を分析。資本から生み出される利益は、経済成長から得られる所得などを常に上回っている。つまり、資本を持つ豊かな人はずっと豊かで、それを持たない人との格差は広がるばかりだと主張した。

 

マルクス、ケインズ、そしてピケティが時代と向き合い、そして問うことは

資本主義は市場の力に重きを置く。市場は最も効果的に資源分配を行うから経済はうまくいくという考え方だ。だがもちろん万全ではない。
19世紀、マルクスは「資本論」で、どうして労働者は豊かになれないのか、資本主義下で資本家が儲かるのは労働者から搾取しているからではないかと考えた。
ケインズは「一般理論」(1930年)で、大恐慌で発生した大量の失業者を救うための政策はどのようなものかを考えた。
ピケティもこれまで誰も手を付けなかった分野に光を当てて、15年の歳月をかけて膨大なデータを分析し、資本主義の本質を明らかにしようとした。
いずれも時代と向き合い、それまでの常識を覆して、資本主義や市場メカニズムに潜む問題をあぶり出そうとしたところに意味があると思う。そこから伝わってくるのは「世の中を少しでも良くしたい」という思いだ。

 

ピケティ「21世紀の資本」への批判

本に対しては今、さまざまな批判が出ている。特にこの本がアベノミクスの否定につながりかねないと捉える側に立つ経済学者や一部メディアからの批判は強い。「r>g」だけで格差拡大を論証するのは難しい、先進国と途上国の間では経済発展によって格差は縮小したはず・・・などなど。
議論は始まったばかりだ。ピケティ自身、格差の存在そのものを批判してはいない。民主主義や社会正義の価値観を脅かしかねないほどの格差を問題なのだと言っているのだ。格差が行き過ぎているのなら、どう解決すべきなのかを考えていけばいいのだと思う。
もっとも、安倍首相のようにアベノミクスによる格差拡大を「指標はさまざまで、格差が拡大しているかは一概に言えない。」との国会の答弁は論外だが。

 

「21世紀の資本」は、果たして21世紀版「資本論」か?

この本を「21世紀の資本論だ」と持ち上げる人も少なくない。だがピケティは、「21世紀の早い段階で、『21世紀の資本』と名付けたことに、読者の寛容をお願いする。」と述べている。21世紀はまだ長い。「50年後、100年後に資本がどのような形になっているか、まったく予測できない」とピケティは言う。歴史を重視する研究者ゆえの言葉だ。時代が進めば社会の構造も変わり、理論は現実と乖離してしまうかもしれない。だがいつかその時代が来たとしても、ピケティが21世紀初めに残した思想は残ると思う。それはこの本が、今私たちが直面している格差という問題に真正面から取り込もうとしているからだ。

 

読み終えて

600頁を越える著書。私が愛する時代小説・文庫新刊のようなわけにはいかないが、ようやく読み終えた。バルザックの作品「ゴリオ爺さん」など、19世紀の社会の描写も面白かった。20世紀前半は2つの世界大戦の結果、資本が破壊され、19世紀に入り格差が減少した。20世紀の後半から21世紀に入り、日本を含む富裕層が国民の富の半分を保有するという極端社会となり、民主主義が危うくなると指摘したこの本。危うくなるどころかまた世界規模の戦争で全てを破壊し、その結果格差が減少したということにだけはならないようにしなければならないと強く思う。研究者だけでなく人々の英知で格差を少なくしていく努力こそが大切だと思うに至った。

安藤 敏明