東日本大震災・福島原発事故から4年と1ヶ月

菅原彩加さんの言葉

ちょうど1ヶ月前の3月12日新聞各紙を埋め尽くした記事は、政府主催の追悼式をはじめ、宮城、福島、岩手での追悼式での遺族代表の言葉や、特集記事だった。
なかでも政府主催の追悼式での宮城県遺族代表、菅原彩加さんの誓いの言葉が大きな反響を呼んだ。中学校の卒業式を終えた後、家族5人で津波に襲われ、目の前で助けを求める母を救えなかった菅原さんは「震災で失ったものと同じくらいのものを私の人生を通じて得て行けるように前向きに生きていくことこそが亡くなった家族への恩返しだと思い、しっかり前を向いて生きたい。」と誓った。だが大きな反響をよんだのは、「行かないで」という母に「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くの小学校へと泳いで渡った。の1節だった。多くの人たちは「切なすぎる」と受け止めるがネットの世界では菅原さんへのバッシングが拡散した。今、菅原さんはヨーロッパ留学を経て、慶応大学の学生として明日を見つめている。その菅原さんが母と子の最後のやり取りを公に晒した心情は人には分からないし、それをあれこれ論評すべきことでもない。そして慶応大学に入学し、前を向いて進もうとしている彼女の決意を素直に喜べない日本人がいる。東日本大震災の被害者は悲劇でなければならない、不幸でなければならない。それを好む日本人がいる。

復興の陰で置き去りにされている現実

あれから1ヶ月が過ぎ去った。結局3月11日は日本の一大イベントになってしまっただけなのだろうか?うわべの復興が言われながら、すべてうやむやのまま5年目を迎えようとしている。福島でいえば、いまだ避難を余儀なくされている人が大勢いる。復興という言葉の空々しさに気づいている人はいても、その原因を問うことはしない。新天地で精一杯生きていこうとする人がいる。その一方で原発事故以来、いまだ先行きの見通しのないまま、常に不安定な生活を強いられている人もいる。福島に限ったことではないが、同じ被災者という立場でも、被災者同士で溝が深まる。強制的に避難させられている人と、自主的に避難している人の間に、賠償額などで格差が生じ、地域の和が乱れ、これが復興の妨げになる。うわべ活気を取り戻したように見えて、その陰に一体何人の自殺者がいるだろうか。被災地以外に暮らす人間はといえば、まだ復興は半ばではあるものの、被災者の多くに普通の生活が成り立っていると思い込んでいる。そう思い込むことで自分たちの日常が確立され、まともだと思うのだ。それまでの暮らしを断ち切られ、追い出された人の多くは、いまだ絶望感から抜け出せないでいる。そこは置き去りにされたままだ。被災者たちの声は届かない。
過去の記憶を風化させてならないが、歳月はそこで暮らす人々の生活や表情を容赦なく変貌させてしまう。東北3県の災害公営住宅では65歳以上の高齢者が「入居者の37%」。さらに「仮設では孤独死最悪44人」の見出しが残酷な現実を突きつける。
福島県内の新聞社とテレビ会社が共同で行った県民世論調査によると、原発事故の風化を感じると答えた人は約60%を占めた。風評被害収束の兆しが見えないと答えた人は60%を超している。福島県民は原発事故の後遺症に、まだまだ悩み苦しみ、辛抱の毎日を過ごしている。

原発の加害者は一体誰なのか?

だが、原発事故の風化を少しでも阻止し、風評被害の払拭にも役立てるために、「福島のことを忘れないでください」「福島産の農作物を積極的に食べてください」「福島の観光地を訪れてください」「福島には皆様の期待に応える観光地が数多くあります」だけでは残念ながら多くの人を動かすことはできない。
それは被災地が被害者の立場からの訴えがいくら強くても、実は加害者の立場でもあるという厳しい現実も事実なのだ。誰が原発を誘致したのか、誰が賛成したのか、その責任はないのか?このことに誰も答えようとしていない。
かわって、国や県、市や町のお偉方の調子のいい号令ばかりが響く。その筆頭は、福島原発はコントロールされているという嘘。汚染水の問題は何も解決していない。4年経っても処理システムのめどが立たず、原子力のタブーには触れないできた。日本は資源小国、やがて油田枯渇をいい、発展するためには必要と、その危険性や矛盾を考えないことにして、ぎりぎりの綱渡りを続け、事故は想定外という。想定外という言葉は人間の驕りだと思う。
かつてのゴミはやがて土に還った。自然から得たものを、自然に戻すサイクルだった。原子力のゴミは永久に生活環境の中にとどまる。日本人は震災後の今を、その足元から見直すことをしていない。直視することを避けながら、元通りの暮らしに戻ろうとしている。うわべだけ元通りになることで被災地は復興し続けると思い込み、やがて来るであろう地震にも教訓が活かされ、あんな目にはもう遭わないと信じて疑わない。誰かがどうにかするだろうと深く考えない。楽観主義ではない無責任そのものになりつつある。

危機感を取り戻せ

福島原発の現実が人間に問うている。いつか再び震災は起こる。人の手で制御出来ない原発が列島に点在している。このまま再稼働を許していいのかと。成長、成長というが、実は私たちは退化しているのではないかと。あれから4年と1ヶ月が過ぎた。人間として否、生物としての危機感を取り戻そう。

安藤 敏明