平和でしょうか

戦後70年夏 沖縄慰霊の日

青空が広がる下、沖縄は平和の祈りに包まれた。沖縄戦で命を奪われた家族や友人らに思いをはせる「慰霊の日」の23日、糸満市摩文仁の「平和の礎(いしじ)」は、刻まれた家族や親族の名前を手になぞり、「会いに来たよ」と語りかける人たちであふれた。一方、追悼式では来賓の安倍首相に対して会場から怒号が飛び、戦後70年の節目の追悼式は異例の光景になったと報じられた。非礼との見方もあるかもしれないが、凄惨な地上戦の犠牲を経た後も、過重な基地負担を強いられている沖縄の我慢が、もはや限界に達していると感じた。そこにはいくら沖縄から声をあげても、それを無視するかのように持論の安全保障政策を推し進めようとする安倍政権への怒りとやるせなさがある。「怒号」を放った側が実は追い込まれているのだ。沖縄では過重な基地負担の解消や、反戦への思いを繰り返し訴えるが、本土ではなかなか共感が広がらない。それどころか、「慰霊の日」直後の25日、自民党の若手勉強会で講師を務めた作家の百田尚樹氏から「沖縄の二つの新聞は潰さないといけない」「もともと普天間飛行場は田んぼの中にあった。商売になると基地の周りに人が住みだした」との発言が出た。無理解というレベルではなく、沖縄に対して攻撃的でさえある。2014年の県知事選と衆院選の沖縄県内1小選挙区すべてで、辺野古移設反対派が当選した。沖縄県民は日本の人口の1%に過ぎず、選挙で繰り返し民意を示しても、全国の中では少数意見だ。例え日米安保体制が重要であっても、過重な基地負担を強いられる日米安保の犠牲者の声が、「抑止力」との理由だけでかき消されるのは理不尽この上もないと思う。

17歳知念捷さんの詩

高校3年生の知念捷(まさる)さんが、自作の平和の詩を朗読した。知念さんを孫のように可愛がっていた祖父の姉は、70年前の沖縄戦で22歳だった夫を失った。その祖父の姉が認知症を患い、戦争で夫を失った妻の歌である「軍人節」を口ずさむ様子を見て、「彼女の気持ちや戦争の惨めさを心にとどめたい」と詩をつづった。
沖縄戦で失った祖父の姉の記憶が薄れていく様子と、戦争体験の風化を重ねて表現。「忘れてはならぬ 彼女の記憶を 戦争の惨めさを」との思いを胸に、今も、これからも沖縄や日本は「みるく世がやゆら」と問いかけた。沖縄の平和でしょうかの問いかけは安倍政権だけでなく、本土に住む私たちの姿勢への問いかけでもある。

みるく世がやゆら

 

安藤 敏明