折々の言葉(1)

朝日新聞が4月1日から、1面の左下に毎日載せている「折々の言葉」。哲学者の鷲田清一さんが、古今東西の様々な言葉を取り上げ、そこから思索をめぐらせるコラムが面白い。「何が出てくるかわからない」面白さ。「ごった煮」の面白さがある。鷲田清一さんが取り上げることが多いのは、ひとひねりある、普通とは違う物の見方をしている言葉だ。もっとも鷲田清一さんの奥さんには、「素直なことばも出さんと、人が悪いと思われる」と評判が悪いそうだ。朝日新聞は時々事務所の近くのコンビニで買う。そして、その時たまたま気に入った「折々の言葉」を切り取っておく。いつも、いつも気に入った言葉に出合うことはない。たまに見る朝日新聞の、気に入った折々のことば。まるで宝くじに当たるようなものだ。
ブログのネタが欠乏してきたら、その中からそれこそ折々に、私が気に入った「折々の言葉」を紹介してみたい。

聴くとは、動けなくなることだ  濱口竜介

今年1月、砂連尾 理(じゃれお おさむ)のダンス公演「愛のレッスン」アフタートークでの若き映像作家の発言。

「聴く」といいながら、人はたいてい聴きたいこと、理解していることしか聴かない。ほんとうの「聴く」とは、これまでそのようなものがあるとすら思っていなかったような他人の心の疼き、心の震えに触れて、身じろぎできなくなることだ。そしてそれにとことん身を晒すこと。

なまいきが民主的なんだ  森 毅

名物数学者のエッセイ集「ものぐさ数学のすすめ」から。

なまいきと思えるくらいの友人関係がいい。友だちといえばすぐに同級生、同期生になってしまう。20歳くらい年の差のある友人がいてもいいのに、友だちの幅がとても薄くなっている、年長者を「上級生」と考えずに、「友人」と思うこと。そして対等に話すこと。そこからやり直さないと世界は広がらない。

旦那さまだって、顔はむきだしだ。私は全身が顔なのだ

モンテーニュ 16世紀の思想家の「随想録」(松浪信三郎訳)から

ある人が、真冬に物乞いがシャツ一枚でいるのに驚き、どうしてそんな恰好でいられるのか尋ねたとき、こう答えたという。いつごろから、人の存在は、身分証明書の写真のように顔に約(つづ)められるようになったのだろう。かつては他人の佇(たたず)まいに、後ろ姿に、いや指先にだって、その人が誰であるかを一目で見てとったのに。

安藤 敏明