折々の言葉(2)

朝日新聞掲載 鷲田 清一氏「折々の言葉」より。

今日の不寛容は、ある特定の議論を強要・・・・・するというより、あらゆるタイプの議論を拒否し、議論そのものを嘲笑する

イタロ・カルヴィーノ
「水に流して」(和田忠彦ほか訳)から

不寛容は、外部からどんな声も伝わってこない状況、他者が自分の内部に介入してこない状況を求めることで、「世界の死体化」を望んでいると、作者は言う。1977年にイタリアで記された「今日」が、およそ40年後の極東の地での「今日」でもあることの意味を問いただす必要がある。

髪の毛が後退しているのではない。私が前進しているのである。

孫正義
2013年1月8日のツィッターから

ソフトバンクの社長は「髪の毛の後退度がハゲしい」とからかわれて、こう反撃した。ネットではよく知られているエピソードらしい。孫さんが空気を切って突進している様子が目に浮かぶよう。優れた企業家はなかなか逆転思考にたけている。

この国では意見を持つ行為そのものが、空気が読めないってことになってしまうらしいんです。

福田 和香子
朝日新聞7月11日の記事から

式で君が代を歌わない教諭を笑う友だち、気づかないふりした自分、目を塞いだ管理職。そんな苦い記憶から抜け出るためにデモに参加したこと、この学生は言う。周りのコンテクスト(脈絡)に自分をはめ込むのではなく、自らコンテクストを紡ぎだしてゆく。個人が一人の「市民」となるのはそこからだ。

二つの行き過ぎ。理性を排除すること。理性しか認めないこと。

パスカル
「パンセ」(前田陽一・由木康訳)から

憎悪をまるで正義のように語るときも、ひたすら合理的に正義を語るときも、ひとの理性はうまく機能しない。非合理に流されないために理性はあるが、もう一方で、合理から漏れ落ちるものをすくい上げるためにも理性はある。そういえば、ドイツ語の「理性」(Vernunft ‐フェアヌンフト)の原義は「聴き取る」ということである。

安藤 敏明